私は廃墟探検している方のサイトを見るのが好きですが、廃墟は色々な危険を伴うので(法律上の不法侵入や、探検中の建物崩壊やその他の人的アクシデント) 自分はナカナカそれをやろうとは思っていませんでした。しかしある時、歩古丹小学校について知り、どうしてもこの目でそれを確認したく、今回訪れてみました。
■歩古丹村(あゆみこたん)と歩古丹小学校とは■
明治以降ニシン漁を頼りに歩古丹に集落が出来、明治25年そこに開校した小学校。切り立った崖と海の間のほんの僅かな土地に立つ校舎が特徴。ニシン漁が衰退した事により村民が減り続け昭和46年閉校した。
教職員の給与に於けるへき地等級5(最高級)。現在残る建物は昭和40年築。新築から6年足らずでその役目を終えた。
この学校が現役だった当時、歩古丹には車が往来出来る様な道路は開通しておらず、交通と言えば専ら増毛からの船の定期便か増毛まで3時間以上も掛かる山道を歩くしかない文字通り陸の孤島であった。
校長先生は週に一度、給食の食材を購入する為、3時間以上も掛けて山道を歩き増毛まで買出しに行ったらしい。
ちなみに昭和56年まで国道が開通せず、西の知床と言われた雄冬(おふゆ)はここから10キロほど離れた所にあり、歩古丹はそれと同等かそれ以上のへき地であった事が想像出来る。
歩古丹の集落は昭和40年代後半には人口ゼロになったと思われる。
ネットで調べた通り岬映(こうえい)橋から歩古丹小学校が見える。しかし気が遠くなるような景色の向こうである。写真では伝わりにくいが、この辺は切り立った崖、又は勾配が極端に急な山肌ばかりでそこへ通ずる道など皆無なのだ。
別な探訪者の方は隣の夕映橋のたもとから降りた等、色々な情報があって迷ったが、とりあえず持参した作業着に着替え、長靴を履いて夕観橋から降りてみる事にした。
夕観橋の下に入るとそこら中にエゾシカの足跡が・・・鹿がいる=自然が溢れている=ヒグマがいる という事なので、この時点でテンションが大きくダウン。
先が草木で全く見えない。ヒグマ、マムシ、ダニ・・・頭の中で嫌な生き物がグルグル駆け巡る。
20メートルほど降りた所で断念。余りに険しすぎる。勾配は急だし、草木が茂っていてクモの巣は顔に絡まるわ、枝が顔に突き刺さるわ、都会っ子!?の私には到底無理と判断。
一度戻り、またその辺をウロウロ、もっと楽に降りる場所が無いか探るが、もう午後4時になってしまい、弱気の虫が前面に出てきてしまう。
家族の顔が次々に思い出され(←これホント) 万一の事があったらシャレにならんと思えてきた。
降下20メートルの間にトカゲが足元に現われ、驚いた彼は文字通り自らトカゲの尻尾切りをして藪に消えていった。トカゲの尻尾が敵の気を引くべく元気にうごめいていた。
とりあえず今日は断念。
子供の頃、水曜スペシャル川口浩探検隊を夢中で見ていたが、、例えそれがヤラセであったとしても凄い事だったんだ・・納得せずにはいられなかった。
失意のまま増毛にあるリバーサイドオートキャンプ場に向かった。増毛の街が近くにある為大変便利で、海水浴場も目と鼻の先にあるのだ。
このキャンプ場の隣には暑寒別川が流れ、写真の奥には海が見える。
基本的にここはオートキャンプ場で私が借りたのは電源が無いスタンダードタイプ(2,000円)電源や炊事場ありのサイトは4,000円~6,000円。
本日この広いキャンプ場には私ともう一組しかおらず、最も炊事場やトイレに近いサイトを借りた。贅沢な雰囲気。
通り掛かりに和食の「福よし」を発見。キャンプ場の管理人の方がおススメしていた店だ。本当は自炊しようと思っていたが、予定変更外食にする。
17種類のネタがのった、海鮮生ちらし(松)2,620円を戴く。満腹。
開校明治11年。この校舎は昭和11年築で北海道最古の現役木造校舎。
これは火気厳禁!だ。万一の事があったらあっと言う間に全焼するだろう。
朝起きて、再び歩古丹小学校に挑戦するか小一時間考えた。
今日は昼までに自宅へ帰り、子供の野球を応援しにいかねばならない。。
考えた末、思い切って再チャレンジを決意。
再びツナギに着替えた!
正に風光明媚!風も無風で信じられない位の美しい自然とそこにちらりと見える歩古丹小学校である。
写真では表現しにくいが、兎に角斜面が厳しい。何回も転んだ。
足で蹴った岩はどんどん回転加速して視界から消える。恐ろしい。
死ぬかも・・2回ほど冷や汗をかいた。
凄い場所に建っているとしか言いようが無い。
その昔、道路も無いのにここに集落があって、小学校がこんな狭い土地にようやく建てられた。
資材は当然船で運ばれたのだろう。
当時の子供達はどの様な学校生活を送っていたのだろうか・・
西側の壁にはピッタリ校舎にくっついたブランコが、、。狭い敷地だった為、こうせざるを得なかったのだろう。当時の子供達は海に向かってブランコをこいでいたのだ。どんな笑顔だったのだろうか。
グルリと周辺を見渡したがグラウンドらしきものは見当たらなかった。その様なものを造れるスペースはないのだ。
右上に校舎が見える。
お分かりになるだろうか。上から見たのと下から見たのでは距離感が大きく違う。あの校舎からここまで降りるのも結構な労力を要した。
使われなくなって40年過ぎた波止場。かなり朽ちてきている。
海は水色とも緑色とも言える色で透き通ってとても綺麗だ。人は誰も居なくて、まるで無人島に漂着した気分だ。
繰り返し申し上げるが、この学校が現役だった頃、後方の道路は無かったのである。山と崖だけだったのだ。
ヒグマも怖かったので また上に登る。
キツイ!下りの何倍もキツイ。四つんばいになって、何度転んでも休まず25分掛け汗だくで必死に登った。
藁をもすがるという言葉がピッタリ。そこら中の草木を掴み登坂する。
ようやく登り切ったものの、10分ほど全く動けず写真の様に寝ていた。正に全身運動だったのである。毎日2キロをジョギングしているのだが、その何倍も疲れた。
ちなみに横になっているのは橋のへりで、右足のすぐ横は10メートル位の高さがある。そんな事も気にならぬほど疲れたのであった。
ここで横になったのも理由があり、右にはガードロープが見えると思うが、極力車道を走る車に見えぬよう休憩したのだ。
しかし、通る車からは丸見えだったようで、皆さん急ブレーキを掛けて私の方を振り返って見ていた。。
まあ何はともあれ目的は達成した訳で、酷い疲れと達成感。ノスタルジーを経験した不思議な気持ち、、色んな気持ちが入り乱れたひと時だった。。
この校舎、いつまでこの形を留めていられるだろうか・・
AM 8:30 さあ、家に帰るか・・・