新型コロナの勢いは変異株で更に増大、ワクチン接種もいつになるのやら・・。
少人数のアウトドア活動は一応安全となっていますが、本当に気が重いです。
GWは函館方面に出掛けたかったのですが、旭川ナンバーのロードスターで他の地域を走るのも気が引けるし、(現在、札幌に不要不急の用事で来ないで下さい状態)しかし一方で北海道では「新しい旅のスタイル」というタイトルで旅行代金の助成も行っており、もう何が何だか分からない状態です。
という事で GWは自分なりに考えて極力人と接触しないで楽しむ事にしました。
今回は増毛町の歩古丹(あゆみこたん)地区に残る、歩古丹小学校跡地へ行きます。こちらへは2010年に一度行った事があるのですが、崖と海の狭間(はざま)の猫の額位の敷地に建つ、ちょっと信じられない学校なのです。
私は廃墟マニアではありませんが、こちらはとても感動的な廃墟で、しかも少々急な斜面を下れば違法性も無く近付けます。
但し、6月にもなると成長した草木が邪魔をして、簡単にアクセスする事が出来なくなります。
ここで当時の記事をコピペ
■歩古丹村(あゆみこたん)と歩古丹小学校とは■
明治以降ニシン漁を頼りに歩古丹に集落が出来、明治25年そこに開校した小学校。切り立った崖と海の間のほんの僅かな土地に立つ校舎が特徴。ニシン漁が衰退した事により村民が減り続け昭和46年閉校した。
教職員の給与に於けるへき地等級5(最高級)。現在残る建物は昭和40年築。新築から6年足らずでその役目を終えた。
この学校が現役だった当時、歩古丹には車が往来出来る様な道路は開通しておらず、交通と言えば専ら増毛からの船の定期便か、増毛まで3時間以上も掛かる山道を歩くしかない文字通り陸の孤島であった。
校長先生は週に一度、給食の食材を購入する為、3時間以上も掛けて山道を歩き増毛まで買出しに行ったらしい。
ちなみに昭和56年まで国道が開通せず、西の知床と言われた雄冬(おふゆ)はここから10キロほど離れた所にあり、歩古丹はそれと同等かそれ以上のへき地であった事が想像出来る。
歩古丹の集落は昭和40年代後半には人口ゼロになったと思われる。
今回は旭川に帰ってきて、暇を持て余している息子も同行します。(大学もオンライン授業で、もう1年以上ロクに行っていない状態)
画像はドラッグストアで4,000円ちょっとで売っている抗原検査キットです。全くの健康体だと思うのですが、話のネタに買って試してみました。(陰性でした)
精度はどうなんでしょうねえ。きちんとした医療機関での検査でさえ、条件によっては信用できる精度ではないらしいですし(例えば感染後の日数等により検査結果は大きく影響を受ける)、厚労省はこういった検査キットでの自己判断は禁物と注意喚起しております。
崖に近い急斜面を下る為、長靴と軍手を履く息子。
崖を下る私。バランスを崩し、何度もお尻をつくほどの斜面。
草木が茂る時期ともなるとそれが更なる困難になる。
どうにか学校跡地まで下りて来る事が出来た。
グレーな海や空との合わせ技で何とも不気味な雰囲気の元校舎。
周囲を見渡すと、住宅の廃墟跡も見られる。
トイレ跡。向こうの穴が便器の穴で、手前の穴は汲み取り用の穴。
手前のコンクリート部分は、恐らく玄関だったのだろう。
階段状の部分に鉄製の扉のレールが残っている。
2010年にもココに来たが、あれから11年、
厳しい風・雨・雪による崩壊が更に進んでいる。
ここはトイレ跡なのだろう。便器が並んでいる。
ブリキのバケツが転がっていた。
コンクリートが剥がれ落ち、鉄筋が剥き出しだ。
木材の床面はもう原型を留めない。
学校の玄関。
扉の枠はかろうじて残っている。
コンクリート基礎の縁にはセラミックで出来たような滑り止めが。
人里離れたこんな僻地の学校にも子供達の声が響いていたのか。
もう屋根の部分は空に筒抜けだ。
扉のノブが落ちていた。鍵穴がまるでマンガ絵の様だ。
校門だろうか。現役当時も形ばかりのものだったのだろう。
校舎の横にはブランコが。
グラウンドも無い狭い敷地のこの校舎に
せめてブランコを設置したのだろうか。
海側とは反対の崖側。風雨雪が当たらない分、傷みが少ない。
教室の真ん中に緑も鮮やかな樹木。
校舎の建っている所から海を見下ろすと小さな波止場が。
歩古丹に自動車が来られる道路は開通していなかった。
集落に必要な多くの物資はここで降ろされたのだろう。
画像の真ん中に海に突き出た波止場が見えるだろうか。
数十年の荒波に毅然と耐えている。
コンクリートは相当丈夫だ。
令和になった今、かつてこの地に人々が住む集落があり、
学校では子供達が生き生きと笑顔で勉強をしていたとは
全くもって信じられない。
スポーツをしている息子も帰りの崖はしんどかった様だ。
かつて人が植えたと思われる桜の木が今年も花をつける。
歩古丹小学校よ。永遠に。
帰り道、増毛山道の増毛側入り口に初めて寄ってみた。
増毛山道は、ロシアを脅威に考えた江戸幕府が、北方警備の為に宗谷(稚内方面)に向け切り開いた山道。ただ、昭和になると船便が栄え利用者が減少。昭和50年代に国道231号線が整備されると完全に廃道となった。
2016年増毛山道の会が中心となり、山道の全線が復元された。増毛山道の会HP
ここも非常に興味のある遺跡道だ。是非全線27キロを歩いてみたい。
増毛町で食事と思ったものの、各店超混み混みで、外に並んでいる状態。仕方がないので留萌まで北上したものの、蛇の目の駐車場も混んでいたので、気になっていたラーメン屋さんで一杯頂きました。
醤油ラーメン(750円)
加水率の高い太麺。自分は旭川ラーメン特有の加水率の低いのが好みだが、ナカナカ美味しかった。スープは濃厚、チャーシューも柔らかく、味が染みていて美味しい。トッピングの海苔がイイ! オススメです。ご馳走様でした!